小寒なのに |
東京かわら版だより |
◆2017年1月号発刊のことば
『東京かわら版』裏表紙にご協賛くださっている皆様、いつもたいへんお世話になりましてありがとうございます。ひとえに小誌が発行し続けていられますのも、主旨にご賛同くださり、支えてくださる皆様のおかげです。
2017年、最初の号です。また背表紙の紙切りがはじまります。そして、2016年に作りました最後の号でもあります。来年も引き続き、気を引き締めて間違いのないよう、見やすい誌面をご利用いただけたらと存じます。よろしければご意見、ご感想などおきかせください。
◆新春インタビュー
瀧川鯉昇師匠をお迎えしました。『鯉のぼりの』(小社刊)も好評な師匠ですが、最近の高座はさらに素敵になっています。あの力の抜けたとぼけた味わい、ぼんやりした落語の登場人物と実在の人間が、今と昔が地続きでちゃんと存在していたのだなあと思える不思議。なにかにこだわりはありますか?と聞けば「まずいラーメン屋に行くことかな」とお答えになる、なんとも脱力感のある雰囲気に、ほんわかした気持ちになります。世知辛い世の中、心持ちが荒んでいるときに、鯉昇師匠の高座に触れると落ち着きます。心が安らぎます。取材して、あの気張らなさ、肩に力の入らないたたずまいに、ますます魅了されてしまいました。そのへんがうまく表れていればいいのですが...ご一読いただければうれしいです。
◆お正月の演芸情報
初席は別にページを設け、寄席のページは増量しました。元日から演芸会はやっています。テレビ・ラジオ演芸番組放送予定表も、お正月の情報が満載です。お出かけにも、家にこもる時にも使えます。たぶん、スマホなどを立ち上げ、パスワードを入力し、検索ワードを打つ...よりも、この1冊をさっとひくほうが早い...はず。それが一番、小誌が電子書籍化へ進まぬ理由なのかなと思ったりもします。小社の会長がいつも背広の内ポケットに小誌を入れているのですが、取り出して調べるときの早いこと!アナログのほうが早いときもあるのだなと思った次第です。
◆新春お楽しみ演芸クイズ
今年もやりました、やっちゃいました!かなり簡単な問題もあります。カレンダーや寄席の招待券などをお送りしています。奮ってご応募ください!
◆そのほかオススメ
連載陣はますます楽しく面白く、トピックスなどのページには最新の演芸情報が満載です。せっかくの年末年始、普段足を運ばない演芸場や演者や芸種をみるのも楽しいです。新たな世界が拡がるかもしれません。ぜひ足を運んでみてください。本年も相変わりませずよろしくお願い申し上げます。(佐藤)
クララ・クレフトさんと、ヴェナ・ハドリチコヴァー先生のこと |
3年前に、生まれて初めてドイツ人と出逢った。それが、クララ・クレフトさん。私にとってのドイツとの親しみは、もっぱらバームクーヘン、ドイツビールとジャーマンポテトだけだったのだが、まさかの落語を通じてのドイツとの縁だった。
落語ファンの皆さんは、兼好、一之輔、白酒、天どん、扇辰が欧州各国を巡回するツアーに出たことを記憶されている方も多いと思う。
この素敵な公演を企画・実行されたのが、クララ・クレフトさん。
この一之輔公演の件の記事制作の件で知り合ったのだが、2013年の白酒公演の時のこぼれ話で、素敵なエピソードを頂いた。
白酒のプラハでの公演の際に、観客として来られたチェコスロバキアのご婦人が、なんと1960年代の上野鈴本のビラを持って会場に現れた。
そのビラの複写を、クララさんに頂いたのだが、落語芸術協会の創立35周年の文字が刷られているので、おそらく昭和40年。3月下席、鈴本有名会で、ヒルのトリは三平、ヨルのトリは円生。正蔵、馬生、柳朝、志ん朝、円楽の名前もある。
きっとこのご婦人にとって、48年前に遠い異国で観た落語が、永遠に色褪せない素敵な記憶であったに違いない、そう思った。
落語の歴史を鑑みても、実に素晴らしい演者が同時代に揃った時だし、手練れの演者達は存分に異国からのお客様を歓ばせたはず。落語の力が誇らしかったし、その夫人の存在がなんとも嬉しかった。2013年のプラハで1965年の鈴本のビラに出逢う、それだけで心が大きく震えた。
このご夫人は、プラハ大学の欧州日本学科の落語研究の第一人者、ヴェナ・ハドリチコヴァー先生。1960〜70年代には、チェコスロバキア大使夫人として東京に居て、この駐在時代に、頻繁に寄席に通われていたとのこと。ハドリチコヴァー先生は、クララさんが主催したプラハでの白酒公演の最前列の席で、とても楽しそうに落語に耳を傾けていたそうだ。
公演後にクララさんが「円生の孫弟子、志ん生の曾孫弟子」と天どん、白酒を紹介した時の、ハドリチコヴァー先生の写真も拝見させて頂いたが、なんともキュートな笑顔だった。
ハドリチコヴァー先生は、昭和40年当時の寄席で話題の美女だったはず。まだまだ外国人が珍しかった時代に、ましてや寄席の客席に足繁く通った青い目の美人は、当然、楽屋でも話題にもなっただろう。詳しい経緯は定かではないが、志ん生、志ん朝親子と交流が生まれ、志ん朝はチェコスロバキア大使館にも訪れているそうだ。先生は落語の研究の成果のひとつとして、90年代に「Smích je mým řemeslem 」邦題「私の芸は笑い」という本を上梓されている。先生の真摯な研究への思いに触れて、志ん朝も心を動かされたに違いない。
クララさんを通じて頂いた資料によると、先生は「品川心中」をプラハ東洋研究所の季刊誌に発表されたり、プラハ盆栽クラブの会長を勤められたり、ずっと日本文化を愛してくれていた。
このヴェナ・ハドリチコヴァー先生が、残念ながら2016年1月20日にプラハで逝去されたと、クララさんからメールが届いた。享年91。謹んで哀悼の意を表します。
人間には誰しも定められた時間があるが、先生が2013年に生の落語を、しかも交流のあった、志ん生・志ん朝親子の係累にあたる、白酒を観て頂けたことがなんとも嬉しい。神様の粋な計らいだったと思わざるを得ないし、また、先生の素敵なエピソードがこうして何カ国もの国境を越えて、人の心がつながって温かいままに、落語のふるさと日本にも届いた。難しい問題だらけの2016年の地球だが、落語の縁で、異国とこんなに温かいやりとりが出来る。
ハドリチコヴァー先生、素敵な人の絆に触れて思いがけず先生を知り、しかも、先生がずっと大事にされていたビラの複写を頂きました。ありがとうございます。どうぞ、安らかに。
※写真は、ハドリチコヴァー先生の著作「Smích je mým řemeslem 」より、チェコのローマ字で表記された「寿限無」の一節。
(クララ・クレフトさんより)
今年度は春風亭一之輔及び立川こはるが演劇祭等に参加する為に、渡欧します。
最新情報は
https://ja-jp.facebook.com/Ichinosuke.in.Europe
もしくは https://twitter.com/ichinosukeineu/ までよろしくお願い致します。
現地の様子は近年同様、可能な限りネット中継するとのことです。
壮行会、凱旋公演のチケットは、ざぶとん亭http://www.zabutontei.com/まで。
そして、11月号発売です |
あれ!?もう九月、、、 |
前回の日記が7月に更新されていたようで
どういった訳でしょうか。。
さて、ついに出ました!
「東西寄席演芸家名鑑」
金ぴかの表紙が目印です。
1000人を超す東西の演芸家の
皆様のプロフィールを掲載しております。
是非お手に取ってご覧くださいませ。
定期購読優待申込のお客様には
10月号と同時にお送りいたします。
写真1
左より
林家けい木さん
柳家かゑるさん
柳家花飛さん
ユニット名は「馬のライヴ」
草創メンバーで、これから増える可能性も
あるということです。
今年中に会をやりたいです!と気合い十分です。
写真2
サンリオピューロランドで食べました。
子どもは大喜び。大人は中喜びでした。
写真3
お客様から頂きました。
折れているため商品にならないとの事。
しばらくはおやつの心配がいりません!
9/6(日)は「謝楽祭」でした。
大勢のお客様でにぎわっておりまして、
小社もひっそりと出店いたしました。
http://rakugo-kyokai.jp/activity/
写真を撮り忘れたので、次の日記担当
たなかちゃんにお任せしたいと思います!