その20 木挽寄席
落語会の情報を取材している内に、色々な方と知り合えました。その16にてお名前を出した
水野さん。日立愛宕ビルにて三遊亭ぬう生(現円丈)さんの会と若手真打の会を隔月開催。
毎月19日の本牧亭民族芸能を守る会の会報で「小三治の会」(確か500円)を見つけ。
昼会社に行きチケットを購入した時は髭面だったのに、夜の会場ではすっきりっした顔に
なっていたのが、強烈な初対面の印象。当時東京の素人落語の世界で、日立家電にその人
ありと知られた存在でした。リッカーの鈴木さん(現米国在住)。板橋大山の炉端焼「まつば」で
同級生の金原亭馬太呂(現馬好)さんの会や「橘家円太郎を聴く会」・「古今亭志ん好むかし咄」
等をやっていました。後年ルネサンスが松本にてテニススクールを受託した時、委託者の
セイコーエプソン側の責任者の方が、鈴木さんの転職時に面接採用した事を知り、その奇遇に
驚かされました。そして同じく16にて登場の斎藤さん。大日本インキ落研で柳家小三太(現
柳亭小燕枝)さんに落語を教わっており、千葉セントラルプラザで「千葉古典落語を聞く会」を
開催していました。
この三人に働きかけ、ぬう生・馬太呂・小三太を中心メンバーにして二つ目さんの勉強会
として「木挽寄席」を発足させました。その直前連続の「馬生の会」会を行っていた俳優協会
稽古場を会場にお願いし、その会をやられていた事務局の浅原さんをにまとめ役になって
もらいました。会の名称は、会場の旧地名に因んで、私が提案。