その19 継続の危機
東宝演芸場は昭和55年、木馬館は52年、松竹演芸場は58年に各々常設の演芸場を閉鎖
しましたが、それまでの番組は全て掲載しております。
50年10月(通巻12)号より、発行日を25日から今に続く28日に変更しています。
この号より「今月号の表紙より」として表紙2枚の切絵についての説明を記載。同じ形式が
51年12月号まで続きました。1枚は演芸種目を切って貰いましたので、新内。この後、浪曲
・講談・獅子舞・義太夫・漫才・安来節・曲独楽と続き、51年6月号に「紙切り」が登場して
おります。これはギブアップの時の題材と考えていましたので、この頃にはにっちもさっちも
いかなくなり、正に経済的に追い詰められていたことを示しています。資金ショートで、声を
掛けられる限りの知人から毎月10万円づつの借り入れをしており、それも限界になっていま
した。今振り返ると、この時期が存続の最大のピンチでした。
然しながら、蝸牛の歩みでしたが少しづつ少しづつ人が集まってきてくれ、幾つかの動きも
生まれていました。その一が、51年3月より始まった「木挽寄席」です。新橋演舞場別館の
俳協稽古場で毎月第一金曜日に開催されたこの会は、「東京かわら版」と私にとって最も
大事な財産となっております。