その13 判形チェンジ
タブロイド判にて発行し、いろいろな所で配りました。あらゆる知人や、情報を掲載していた
映画館の内、文芸坐など置かせてくれた処。出身校の学習院では、かって知ったる各クラブ
の郵便受けに入れました。イイノホールの二朝会で、会場待ちの人に手渡したこともあります。
スタート時はそれでも付き合いで何人かの人が申し込んでくれましたが、2,3ヶ月すると
パッタリと動きが止まってしまいました。今考えても、他の情報誌には無い落語や講談の
案内が載っているにしても、その数僅か50本。しかも、見本誌が寄席演芸に興味のある
人には余り届いていない。実に購読者が増える要素が薄かったと言わざるを得ません。
当初毎月2000部印刷し、それを配ればその1割が申し込んでくれる。それを1年続ければ
2000人の定期購読者になり何とか廻していけると、何となく考えて始めたのですが(この
数字でも全く成り立たないことを、すぐに実感させられました。要するに何の具体的計画・
計算も持たないで発行しちゃった訳です。むちゃくちゃでしたナ~)、更にその一割も反応が
ありませんでした。月の後半には夜余った物を封筒に入れ、築地近隣にポスティングしました。
東銀座や八丁堀から数人の送金がありましたが、焼け石に水でした。実家に居て食事と
住まいは確保されておりましたが、全く先が見えない有り様だったところ、大学時代の友人
より判形チェンジの話が持ち込まれました。