その10 松葉屋と民族芸能の会
「はなしをきく会」は松葉屋の名物女将福田利子さんの息子清一さんが、大学生の時に跡を
継ぐにあたって、自分の仕事としてお店で落語会をやりたいとして、始められた会です。
詳しくは昭和61年主婦と生活社刊「吉原はこんな所でした」をご覧下さい。
当時月1万円で生活していた身ではおいそれと行ける会ではありませんでしたが、ごくたまに
はとバスの「花魁ショー」が行われていた舞台を高座として、緋毛氈を敷き詰めた桟敷席で、
厳選された出演者による落語を聴くのは、まさに贅沢の極みでした。ちなみに11月1日(金)
には「三遊亭遊三・春風亭小柳枝・春風亭枝雀・春風亭柳橋」、15日「三遊亭円窓・三遊亭
円楽・檜山さくら・三遊亭円生」の番組が掲載されています。松葉屋さんは後年裏表紙に協賛店
を掲示するようにした時、第一号の申込店となって下さり、その後持参する度に毎回暖かい励まし
の言葉を掛けてもらいました。
19日には本牧亭「民族芸能を守る会 鏡味仙之助・小三太(現柳亭小燕枝)・ぬう生(現三遊亭
円丈)」があります。昨年5月に95歳で亡くなられた茨木一子さんが会が発足した昭和37年から
事務局長としてしきられていた例会で、事務所が隣町の東銀座にあったこともあり、私は毎月顔を
出すようになり、茨木さんにはなにかとお世話になりました。
あの時期、この二つの会の案内を定期的に掲載していた媒体は、他には存在していないと
思います。