その5 大塚名画座
どのようにアプローチしたら良いのか検討もつかなかったので、配り物として手拭いを用意。
上野松坂屋で出来合いの松竹梅柄を100本、割合安価にて入手。日本橋・榛原で見つけた
タトウに入れ、上に以前作っていた小さな千社札スタイルの木版刷の和紙の札を貼りました。
札は特許事務所勤務時代に、確か「平凡パンチ」の"粋な江戸小物"特集で目にした日暮里の
木版刷師・関岡扇令さんを訪れて、趣味の名刺として名前と自宅の電話番号を書き入れた物を
何色かに刷ってもらっていたのがありました。当面の連絡先は自宅ですので、この札が使えると、
考えたわけです。それなりに結構な品が準備できましたが、タトウの方が手拭い本体よりはるかに
高値だったのにはビックリしました。思い返してみると、何とのんきな事をしていたやら・・・。
さて、最初に訪れた大塚名画座で、思いがけなく嬉しい言葉を掛けてもらい、大変励みに
なりました。もしここでけんもほろろの対応をされていたら、気持ちがなえてしまって二ヶ所目
から行く気がそがれていたと思います。よかった、よかった。
この所が、かって昭和16年から4年あまり寄席の灯を守りとおした大塚鈴本だったのを知ったのは、
20年以上も後になってでした。「大塚鈴本は燃えていた」1995年・西田書店刊・渡邉武男著・小沢
昭一氏推薦の本にて、この事実を知った時には、その奇遇に言葉にならない驚きを感じました。