いのどん 愛の小部屋

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「東京かわら版」 その3
2003/12/29(Mon) 15:30:44 No.5

失われし?季節感を求めて のタイトルにて26号まで

 昭和50年夏に大学時代の友人で大手印刷会社に勤めていた朝田君が、10号までのタブロイド版掲載の情報を全て入れ込み、記事風の新機軸物を何本か加えた雛形を勝手に作ってきて見せてくれました。定形郵便物制限大・縦21?、横11?、左綴じスタイルの現在の形の物です。朝田君からは写真植字のシステムを解説した本を貰い、1級が0、25?であるとか、印刷物が出来るまでの流れ等、出版についての基本的なことを教えてもらいました。のみならず、その後数ヶ月にわたって都内の探訪記事や色々な写真を、全くこちらが費用を出すこと無く提供もしてもらいました。彼の出現にて実質のスタートが切れたと言えます。感謝・感謝・大感謝。

 濃紺一色刷り、表紙は上部に江戸文字「東京かわら版」のロゴ。民族芸能を守る会の事務局長・茨木さんの紹介にて、先代正楽師匠に殆ど紙代にしかならないお礼で毎月2点の切り絵を切って頂きました。その作品を上下に配し、その間に「失われし?季節感を求めて 東京の新しい情報誌」と入れました。一部売りも開始し、一冊100円にて本牧亭や可能な落語会にて細々と販売。定期購読料は郵便料込みで8ヶ月1000円、一年1500円としました。

 この9月号(通巻11号)の表紙の切り絵は「お月見」と「落語家のシルエット」で、落語情報は4頁約50本。講談・浪曲・新内が2頁約30本で計80本。これまでに比べて情報は20本位増えただけでしたが、特筆すべきは日比谷東宝演芸場・浅草木馬館・松竹演芸場の演芸常設館の10日毎の出演者案内を掲載できたことです。(大衆劇団の常打ち小屋となっている木馬館以外の2館は、残念ながら今は閉鎖されてしまっています。寄席定席の顔ぶれは当時は10日前にならないと決定しませんでしたので、入稿日の点から載せられませんでした。)

 今顧みて余り胸の張れる事のない当時の小誌ですが、この情報掲載は寄席演芸情報誌として唯一とも言える自慢の点となっております。この月の上席の東宝演芸場には、寄席の唄:春風亭枝雀、声帯模写:桜井長一郎、奇術:アダチ龍光 木馬館に、モダンジョーク:南けんじ、浪曲:木村若友、木馬館民謡一座 松竹演芸場に、漫才:千代若・千代菊、漫才:鶴尾・亀夫、漫才:Wエース 等の懐かしいお名前が並んでおります。(51年6月号の東宝演芸場中席には、NHK漫才コンクール優秀賞受賞:ツービートの名がありました。)

 高校時代の友人の一人に、やっといくらか売れる形になったな、と言われた想い出があります。
H15・12・29
いのどん
 
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「東京かわら版」その2
2003/10/31(Fri) 14:30:05 No.4

散々たるスタート

 何の成算もなく、これといった考えもないスタートでした。
 最初は比較的情報が入手しやすそうに思われた、名画座系の映画館を回ることにしました。地域別にリストアップし、その事務所を直接訪ねてみました。顔つなぎの品に上野松坂屋で松竹梅の模様に名前を加えた手拭い200本を誂え、創業文化3(1806)年の日本橋はいばらで包み紙を用意し、その上に扇令さんに作ってもらった「井上和明」名の下に自宅の電話番号を入れた和紙の小札を張り付けました。札はそれまでにあった品ですので費用は掛からなかったのですが、手拭いより包み紙の方が値が張って驚きました。

 初めに行ったのが、何でそこを選んだのか全く理由がないのですが、大塚南口にあった「大塚名画座」「鈴本キネマ」でした。飛び込みで訪れ手拭いを差し出し、これから1ヶ月間の映画情報を教えて欲しい旨お願いすると、快くOKしてくれるとともに「頑張って下さいね」と言ってくれました。五里霧中で藁にもすがりたい時だったので、この一言は本当に嬉しく心にジンとしみました。平成7年出版の渡辺武男著「大塚鈴本は燃えていた」なる本で、ここはかっての大塚鈴本の跡であったことを知り、「東京かわら版」と落語の世界の繋がりに驚かされました。

 落語会の案内は手元の資料をもとにした電話取材と、紀伊国屋ホールや三越劇場に足を運び直接聞いたりチラシを入手したりしましたし、本牧亭と「民族芸能を守る会」事務局には毎月必ず顔を出しました。

 定期購読者への送付しか頭になかったので、発行した昭和49年11月号を持って知り合いにかたっぱしから合い、1年分の代金を受け取ってきたり、郵便振替用紙を同封し送り付けました。私の個人的趣味の世界を押しられ、さぞ迷惑だったろうと、今にして思うしだいです。今定期購読者リストをパソコンで見てみたら,通し番号100番までで、8人が現在も取ってくれていました。駒沢大学落語くらぶ以外は、全て個人的な知り合いで、その中にはなんと1番(高校のラグビー部仲間・私はマネージャー)がおりました。感謝・感謝。

 月2000部印刷し、見本紙として映画館や落語会場で配布すれば、その1割が申し込んでくれ、1年続ければ2000人になり継続して発行できる、というのが当初の目論見でした。自分1人だし、両親の家にいて食事と寝る所はなんとかなっているし、手持ち資金で1年は持ちこたえられそうなので、それまでにめどがつくとの計画でした。
 毎月末発行した印刷物を家にあったオートバイに積んで、置いてくれる映画館に運び、大学の各クラブ郵便受けに入れこんだりしました。落語会でゲリラ的に配ったり、余った物を夜近隣の家や事務所に投函したりもしましたが、全くと言って良いほど購読者は増えませんでした。1割のさらに1割程の動きしかありませんでした。

 10号までのタブロイド版を今見てみると、内容にとりとめも無く、情報量も少なく、ただ単に私の個人的な好みの世界の案内がパラパラと集められているだけで、これをお金を出して取る人はいないな、フリーペーパーでも受け取ってくれる品ではないな、と思うしだいです。よくこれを売り物として出したもんだと、本当に汗顔の至りです。まあ、出したからこそ今に続いているんだ、と思うことにはしていますが・・・。

 余りのひどさに、見かねて色々な人が様々なサポートをしてくれるようになってくれました。その内の一人、大学時代の友人で大手印刷会社に勤めていた男が、印刷物の雛形を作ってくれました。
 11号からの現在の形の原型です。

H15・10・31

いのどん
 
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「東京かわら版」 その1
2003/09/30(Tue) 18:09:48 No.3

10号まではタブロイド版

 昭和49年10月25日に「東京かわら版」の題号で第1号を発行。定価は1年送料込みで1500円でした。(10月11日には「有限会社東京月間情報社」なる、今思えば気恥ずかしくなるネーミングの会社を設立。)
 印刷の事は何も知らず、落語界とは単なる一愛好者で全く繋がりもありませんでした。大学卒業後4年程務めていた叔母の特許事務所を辞めた時、何となく落語情報をまとめて提供し、一般のお客さんとの橋渡しが出来れば、と思いつきました。当時は既に出版されていた「シティーロード」は音楽の、「ぴあ」は映画の情報が主で、落語案内は殆ど載っていませんでした。例えば、柳朝・志ん朝師の「二朝会」の案内が数日前に新聞の片隅に数行記載されても、問合せ先も出ていません。自分で調べて会場のイイノホールに連絡すると、主催者が別。何とか教えてもらって、やっとチケット入手方法が分かるという有様でした。行きたいと思う人が希望する会と簡単に連絡が取れれば便利なのに、という極めて単純な発想からでした。 
 ないないづくしのスタートでしたので、まづ出してしまって、それから直していくパターンでした。(今も基本的には全く同じです・・・)
 題号も最初に印刷をお願いしたムツワ企画(この印刷所というか写植所には印刷の流れを教わりました)の村越さんにネーミングを出してもらいました。そのアイデアを活かし、印刷物の類で商標登録をしました。2号目から使用を開始したロゴは、それまでお付き合いのあった木版摺師関岡扇令師の紹介で、江戸文字の第一人者鈴木本和さんに書いて頂きました。
 落語情報案内を目的に始めたのですが、当初は落語家さんの連絡先も全く知らないし、情報入手の手がかりも無く、それまで貯めておいたスクラップや、断片的に出る記事を手掛かりにすこしづつ情報源を増やしていきました。1号は全8頁の内落語会案内はたった1頁、約20本のみ。第6号で全12頁になり落語会は2頁、約40本。別に講談・浪曲案内が1頁加わりこれは約20本の情報掲載で、トータルで約60本の情報掲載。
 このスタイルが10号まで続きました。

 H15.9.30いのどん

いのどん
 
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いのどん・こだわり (イロハのい)
2003/09/10(Wed) 19:40:33 No.2

 通常は朝8時10分に本所1丁目の住まいを出、20分弱の歩きで両国2丁目回向院隣の事務所に入ります。1階の『東京かわら版』で留守番電話のチェック、新聞紙整理をして、午前中は同じ建物の4階にあるスポーツクラブ運営会社にて顧問として業務を遂行。昼の食事の後、午後から『東京かわら版』に戻って仕事というのが一日の流れとなっています。
 元々は会社創業の地となっている中央区築地で生まれ、育ったのですが、10年ほど前事務所の関係で墨田区石原1丁目に移り、2年前に200歩程浅草側に離れた今の所に越しました。歩いての通勤ですが、道もすっきりしており緑も多く、ここでの生活はそれなりに気に入っています。家を出て前の住まいの所で片男波部屋を左に見て右に曲がると、史蹟日本左衛門首洗井戸跡がある徳之山稲荷。池波正太郎「男の秘図」主人公で万治3(1660)年に初代本所築地奉行に任命された徳山五兵衛の屋敷跡です。朝の食事をしている猫の集団脇を邪魔をしないように通り、石原1丁目の交差点に出ます。信号を渡ると横網公園。生粋の本所っ子・五街道雲助師匠は、関東大震災で亡くなった人の怨念が気になりここは通れない、と言っていますが私には特に感じられません。夕方や休日には犬のお集まりの場と化すこの公園で、緑の木々の間に7月14日に咲いた百日紅の紅を眼にし、ちばてつや「のたり松太郎」でお馴染み(ビッグコミックス34巻他)、力士御用達の同愛病院と旧安田庭園の間を歩き隅田川岸に出ます。
 今は使用されていない両国公会堂角を左に折れ、少し行くと両国国技館。そのまま総武線のガードをくぐり、元大関の霧島関の陸奥部屋前を通過し、あんしん財団(旧KSD)の交差点を左折し、回向院を過ぎると事務所のあるシティーコアに着きます。ちょっと時間はかかりますが、私には丁度良い運動量で、毎日歩いていても全く飽きることのない道です。
 そして、大相撲東京場所中は国技館に力士幟がはばたき、この街の趣を増してくれます。朝は毎日8時30分に櫓の上で一番太鼓が打ち鳴らされ、いやが上にも両国の雰囲気が醸し出されています。歩いている途中で太鼓が鳴り出し、その音に送られて事務所に向かうのは大変結構な気分です。年3回の楽しみとなっています。、
 この2週間、国技館正門前8時30分に合わせ、出勤時間は8時15分に変更です。
 H15・9・10
いのどん
 
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まずはご挨拶
2003/08/29(Fri) 15:13:52 No.1

 最も遅いアップとなったみたいです。せっかく東京かわら版ボランティアスタッフの皆さんの頑張りで、以前のネットから中断することなく利用できる様になりましたのに、約1ヶ月の間工事中のままにて、申し訳ありませんでした。当初は月刊寄席演芸情報誌「東京かわら版」のネット版として2年前に立ち上げたのですが、有料システムは残念ながら無理があったみたいです。そこで改めて皆様と本誌の橋渡しができればと、再構築したのがこのネットです。少しづつでも寄席演芸好きの方々にこのネットが浸透して行き、その結果本誌がより多くの人に利用価値がある物になれば良いと思っております。又今まで興味がなかったり、関心を持っていてもどうやって楽しめば良いのか方法が分からなかった方々が、寄席演芸の世界に触れるきっかけとなれれば大変嬉しい事です。

 「いのどんのひとりごと」とのタイトルを出したのですが、ありふれている、とのことで即却下されてしまいました。ほぼ30年前の創刊号を「東京月間情報」とした以来の恥ずかしさを「愛の小部屋」に感じておりますが、まー若い人の感性に任せるのも有りとしました。

 これから「東京かわら版」の成り立ちや、思いついたことを折に触れて記して行こうと考えております。よろしかったらお付き合い下さい。 

H15.8.29いのどん
いのどん Web
 
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